(画像引用:【巡音ルカ】 唯心論 【オリジナル】(Youtube)より)
会社の新卒の部下が最近Twitter担当になり、アカウントに「(公式)」とついてるにも関わらず、好き勝手ツイートしてはフォロワーを増やしたり減らしてる姿にYacky Mockyしているわけだが、それは決して恋しているわけではない。
とは言え彼女をそのままにしておくわけにはいかず、マーケティング担当としては技術だけでなく視点も身につけて欲しいという思いから、ちょっとした課題を出すようにしている。
@pasonatech 「唯物論と唯神論を調べてまとめた上で、VRは唯◯論か述べよ」。大喜利かな。
— TラオカP (@fujigoco2255) 2016年9月15日
上記は、お台場VRを一緒に体験しに行った際、部下が「初音ミクなんて二次元じゃないですか」と発言した流れからのものである。これより前にも1つ課題は出したが、上記課題に対して彼女はこう結論づけた。
「唯物論と唯心論を調べてまとめた上で、VRは唯◯論か述べよ」
http://bukataya.hatenadiary.com/entry/2016/09/21/142705
正解を求めているわけではないので、これにとやかくいうつもりは無い。どちらかと言うと「人と議論ができるように」と言っておきながら、こちらの意見を述べないというのはフェアじゃないなと思ったので、この記事を執筆するに至る。
「そもそも技術にそんな思想とか関係あるか?」と思われるかもしれないが、大切な事だと思う。先日、「Mautic Meetup Tokyo #5」に参加した時のこと。オープンソースMAツール「Mautic」のファウンダーであるDavidは、その開発思想についてキーノートでこう発言した。
時間を大切なことに使ってほしい。時間を作りたい。Mauticはタイムメーカーである。
なにそれ震えが止まらない。涙
高価で難しいマーケティングソフトウェアから開放し、時間を作るのがMauticである。テクノロジーにおいても、大切なのはそういう思想・マインド・概念を持つことなんだと思う。「ART」とは技術であり科学である。マーケティングはそれらを世情に絡めて排出する為の手段である。思想やマインドなくして、技術もマーケティングもありえない。
閑話休題。
前置きが長くなったが、唯物論と唯心論について。Wikipediaにおいて唯物論とは
観念や精神、心などの根底には物質があると考え、それを重視する考え方
対して唯心論。
人間・社会において、心、もしくはその働きこそは至上の要因であるとする存在論における立場の一つ
という事で、この先いろいろ調べたり掘り下げたりすると、大体は「唯心論を弁証法的に取り込んだ唯物論」が、現代社会においては一般的にベースとされる考え方なんじゃないかと思う。唯心論を説明できる事例を真面目に考えてみたけど、Star Warsでオビワンが霊体化できた事した思いつかなかった。
(引用:http://acrylicpetin.hatenablog.com/)
じゃあもうこの世の中にあるものは全て物質が先、唯物論で片付ければええじゃないか、となるのかもしれないが、それは少し待って欲しい。唯心論の前提である「人間・社会において」の部分、これはほぼ「人間において」の事だと感じていて(社会に対して根源が物か心かという二択はおかしい)、となると結局これらは「人としてどっちが大事?」というのを議論しているのと同じである。延いては己の証明を何とするか?と問いたいのだと思っている。
何かを認識する上で、それを感じる己が物質である事が唯物論なら、初音ミクだって十分この世に存在する(認識できる)物質だし、プロジェクションされた初音ミクには粒子も存在するのだから、たしかに、唯物論上にも初音ミクは存在する。
しかし、人間の存在とは何か?をベースとした弁論のなかでVRは唯◯論か?を話しても、VRは人ではないので判断する軸が違う。ではVRを判断する軸とは何か?
改めてVRについて考える。
VRとは、これまたWikipediaによれば
実際の形はしていないか形は異なるかも知れないが、機能としての本質は同じであるような環境を、ユーザの五感を含む感覚を刺激することにより理工学的に作り出す技術およびその体系。
となっている。正式な物質を持たないが、五感を通じてあたかも物質を感じられる技術であり、その仕組みである。これをそのまま解釈すると、唯心論的感覚を取り入れた唯物論においては前述の通り丸く収まってしまうので、違う解釈をしてみる。
VRで何かを実現する時、3つの方向性があるかと思う。1つめは、既に実在する現実を仮想的に体験できるもの。ジェットコースターにのる、世界旅行をする、といったよく見るものである。現在は視覚・聴覚・触覚がメインのVRだが、嗅覚・味覚との連動も研究されている。
「味と香りとVR」をテーマに五感を自在に操ることが最終目標の東京大学大学院の廣瀬・谷川・鳴海研究室にインタビュー
http://vrinside.jp/news/gokan-vr/
2つめは、開発側またはユーザーが想像する世界を現実的に体験させるもの。僕にとっての初めてのVR体験は「初音ミクとの握手」だったが、それはこれに分類される。
最後の3つめは、現実に開発側が想像・想定する世界を組み合わせた拡張現実もの。VR没入するものであり仮想現実であって、ARとは違うとかという話もあるだろうが、これらが重なったMRがより一般的になれば、概念上は統合されていくと思う。
VRとARとMRの違いについて
https://www.panoplaza.com/basic/vr-basicknowledge/about_vr/vr-ar-mr/
ここまでくると、五感から何かを認識する物質である人間にとって、VRはWikipediaが言う「五感を含む感覚を刺激する」クロスモーダルなものというだけでは済まされないのではないか?それ以上に、現世や生物に対する固定概念をも上書きできる力は持っていると思う。五感と意識を司る外部器官となりえる。「物」や「心」ではなく、「識」の方が適切と考える。
これはもう、「唯物論」や「唯心論」の軸ではなく、仏教で言うところの「唯識論」の方が当てはまるのではないか?
唯識論において、全ては無であり実体を持たない事を意味する「空」とは、まさにVRの世界ではないか。実態の有無にかかわらず、人はVRを通じて、この世の万物を認識する。
結論
VRとは、唯識論における拡張器官である。
3,000文字近くを費やし書いた結論が唯識論だった事に対し、なんだろう?申し訳ない気持ちでいっぱいである。VR=五感=識なんて、論ずることもない結論ではないか。消えたい。自分を消し去りたい。消えて無くなりたい。そんな自分こそ「空」であり、諸法空相の元、クラウド化される事に期待せざるをえない。
という事で、他に書く場所がないからとは言え、このブログで全くオープンソースに触れないわけにもいかないので、オープンソースなVRヘッドセットのご紹介。
オープンソースのゲームVRヘッドセット「OSVR」、いよいよ日本上陸
自分で組み立て拡張できるヘッドセットで、ハードもソフトもオープンソースとのこと。スマホを活用したVRコンテンツ以上に、本格的なコンテンツが手軽に流通することを願いましょう!